培養シーフードのボトルネックは細胞株?GFIの細胞株開発ガイドを読む
GFI(The Good Food Institute)は、培養シーフード向けに「Developing continuous cell lines for cultivated seafood」というガイドを公開しています。
最近更新されたので、本記事で紹介していこうと思います。
GFIが公開した細胞株開発ガイド
このガイドは、魚類・甲殻類から細胞株を作るための実務的な知見をまとめた資料になります。研究者への調査やインタビューをもとに、魚類・甲殻類の細胞株開発で起きやすい問題と、その対処方針が整理されています。
ただし、この資料は「この通りにやれば細胞株ができます」という完成プロトコルではありません。培養条件や培地条件は種や細胞種によって異なるため、最終的には試行錯誤が必要だとしています。
つまり、このガイドは答えというより、失敗確率を下げるための参考資料に近いです。
実際、魚・甲殻類・哺乳類の細胞は、同じ「動物細胞」として括るには違いが大きすぎます。特に培養シーフードでは、対象となる生物種の幅が非常に広く、サーモン、マグロ、エビ、カニ、貝類など、食用として想定される水産物は多様です。
牛・豚・鶏に比べると、培養すべき生物種の幅が広く、研究者も多くないため、先行研究があまり積み上がっていないのが現状です。
培養シーフードの細胞株開発が難しい理由
培養肉全体において細胞株開発は重要ですが、培養シーフードではその難しさがさらに増します。
理由の一つは、食用として重要な魚介類の細胞株がまだ少ないことです。魚類の細胞株自体は昔から研究されていますが、その多くはウイルス学、毒性試験、発生生物学、水産研究などの用途で作られてきました。
培養肉では筋肉や脂肪を作るための細胞を扱うため、細胞株のレパートリーに差があり、培養肉に転用できる採取技術や細胞株自体が少ない状況にあります。
もう一つは、研究ツールの不足です。哺乳類であれば、抗体、マーカー遺伝子、市販培養液など、使えるツールが普及しています。しかし魚類や甲殻類では、種ごとのゲノム情報、抗体、細胞種マーカーなどが十分に整っていない場合があります。
そのため、細胞を取ってきたとしても、「この細胞は本当に目的の細胞なのか」を確認する手段が限られるわけです。
これは昆虫細胞での記事でも言及しましたが、実は大きな問題です。細胞株開発では、細胞が増えることに加え、何が増えているのかを確認することが重要になります。
最初の壁は、不死化よりもコンタミ
細胞株開発というと、不死化技術に注目しがちです。テロメラーゼを入れるのか、がん関連遺伝子を使うのか、自然不死化を待つのか。そういう話になりやすいです。
ただ、GFIのガイドを読む限り、培養シーフードの最初の壁はそこではありません。コンタミ(微生物汚染)が最初に立ちはだかる壁だと、多くの研究者が述べているとのことです。
魚類や甲殻類の組織は、もともと微生物との接触が多い環境にあります。特に甲殻類では、細菌や真菌の混入が大きな問題になりやすいとされています。
組織から細胞を採取して培養を始めるとき、微生物汚染をどこまで抑えられるか、これが第一の課題になります。この課題をクリアしない限り、次の細胞培養条件を検討する段階に進めません。
仮に進めたとして、次に問題になるのが細胞増殖の遅さです。
ガイド内では、コンタミに次いで多い問題として「細胞増殖が遅く、いつまでも立ち上がらない(※培養の実験系として扱えるようになっていない)こと」が挙げられています。特に、コンタミ率を下げることに成功した研究者にとっては、この増殖の遅さが次の大きな壁になるようです。
難しいのは、その原因が一つではないことです。
細胞集団そのものが増えにくいのかもしれませんし、あるいは培地組成、培養温度、pH、浸透圧などの条件が合っていないかもしれません。GFIも、この遅い増殖が細胞側の問題なのか、培養条件の問題なのかは必ずしも明確ではないとしています。
そのため、単に「細胞が増えない」と判断するのではなく、複数の条件検討を試していく必要がありますが、見るべき変数は多く、事前の情報は少ないという状況です。
魚類では自然不死化の実施が推奨
興味深かった点は、魚類細胞では自然不死化を試す方針が示されている点です。
自然不死化とは、細胞を継代し続ける中で、安定して増殖し続ける細胞集団が自然に出てくるのを待つ方法です。
哺乳類の初代細胞を長期に増やし続けることは簡単ではありません。一方で魚類細胞は、陸上動物の細胞よりも自然不死化しやすい可能性があると考えられています。
そのため、最初から遺伝子導入による不死化を狙うのではなく、まずは継代を続けて自然に安定増殖する集団を得る方法を推奨しています。
この方針は、将来的な食品利用も見据えたものになっています。遺伝子導入で不死化した細胞を食品に使う場合、規制対応がかなり厳しくなります。実際、世界で許認可を受けている培養肉の細胞株は、全て非遺伝子組換え細胞株です。自然不死化であるからといって規制上の問題が全てクリアになるわけではありませんが、少なくとも対応のしやすさは変わります。
ただし、甲殻類については判断が難しいようです。
甲殻類細胞は、そもそも初代培養・継代維持が難しいため、自然不死化しやすいかどうかを評価する前段階でつまずいています。GFIも、甲殻類については魚類よりも知見が少なく、推奨の確信度は低いとしています。
培養シーフードと一括りにしても、魚類と甲殻類では開発難度がかなり違うということを認識しておいてください。
実務上のポイント
このガイドでは、細胞株開発の実務上のポイントも整理されています。
まずは対象種の選定についてです。
商業的に意味のある種であることは当然ですが、それだけで選ぶと技術的に詰まる可能性があります。入手しやすいか、近縁種を含めた先行文献があるか、研究ツールが市販されているか。こうした要素が重要になってきます。
次に、組織採取と細胞単離です。
魚の組織は哺乳類の筋肉よりも繊細で、扱いにくい場合があります。組織の鮮度、採取方法、使用する組織量、洗浄・除菌条件、explant法にするのか酵素分散にするのか。ここで条件を外すと、その後の培養条件をどれだけ工夫しても立ち上がりません。
GFIの資料では、explant法と酵素分散法の両方を検討することが推奨されています。限られた実験数で始めるなら、explant法から試す価値がある、という方針になっています。
もし既に先行研究で細胞の採取方法が確立されていれば、その再現から始めてポジティブコントロールを作ってから条件検討に取り組むのが良いでしょう。
早期の細胞特定の重要性
もう一つ重要なのが、早期の細胞特定、特性把握です。
細胞が増え始めると、つい「このまま増やしていこう」と考えてしまいます。しかし、その細胞が目的の種・目的の細胞種であるかは、早めに確認する必要があります。
GFIのガイドでは、少なくとも種同定を行うことが推奨されています。加えて、核型解析、分化能の確認、マイコプラズマ試験、形態変化の記録、倍加時間の記録なども重要とされています。
これは非常に現実的な指摘です。細胞株開発では、数か月育てた後に「これは使えない細胞だった」と分かるのが一番きついです。時間も人件費も失われます。早めに失敗を検出する仕組みを入れることが、結果的に開発速度につながります。
食品生産に使うなら、増殖性、分化能、代謝効率、遺伝子発現、凍結融解後の生存性、長期継代での安定性、ドナー動物の由来情報など、複数の観点で評価する必要があります。
特に将来的な商用利用を考える場合、ドナー動物の健康状態や由来の記録まで遡られる場合もあります。研究用途だけで終わるのか、食品生産の入口まで持っていくのかで、最初に残すべき情報が変わります。
細胞株はインフラのひとつ
今回のGFIガイドを読むと、培養シーフードの課題は「各社が頑張って細胞を取る」という段階から、いかに産業インフラの話に繋げていくのか、というところに移りつつあるように見えます。
産業インフラ、つまり、細胞株そのものがインフラになります。
使える細胞株があれば基礎研究が進み、さらに培地開発、足場材開発、分化誘導、品質評価、安全性評価などへ展開していきます。逆に、細胞株がなければ、これらの研究はすべて限定的なものになってしまいます。
これは培養肉全体に共通する話ですが、培養シーフードでは喫緊の課題となっています。対象種が多く、種ごとの開発が必要となるからです。
しかも、スタートアップが独自に作り上げた細胞株の多くは、簡単にはオープンなものにはなりません。会社の重要な資産である細胞株は、会社の戦略として提供しない限り外には出ません。
こうした理由から、細胞株のインフラ化はまだ十分に整っていない状況になっています。
どの細胞を増やすのか
今回のガイドを見ると、培養シーフードの開発に取り掛かる前に、しっかりと目標を定めることの重要性が語られています。
技術的には、
- どの魚介類を選び、どう手に入れるのか。
- どの組織から、どの細胞種を狙うのか。
- 開発は自然不死化を待つのか、遺伝子導入を使うのか。
- 何をもって目的細胞と判断するのか。
そこに加えて、事業面からも
- 何を作り、どんな課題を解決するのか。
- 生産まで見据えたとき、どんな情報、検査が必要になるのか。
- ロードマップを描き、事業転換も視野に入れられるか。
を考えておく必要があります。ほかの新規事業の場合は3C分析などから入ったりすると思いますが、この業界はまず「課題は何か、顧客は誰か」というところを定める必要があると感じています。でなければ開発が意味の無い方向に進んでしまいますし、いま他社競合を気にしてもしょうがないので。
正直、細胞株開発は派手なテーマではありません。稼ぎ方が難しいのに、開発にはコストが多くかかります。ただ、ここが整わないと、培養シーフードは先に進めません。
培養シーフードの実装において、細胞株開発は単なる前処理ではなく、製造技術全体の土台です。GFIの今回のガイドは、その土台部分をかなり現実的に整理した資料だと思います。
まとめ
今回紹介したガイドは、そこまではっきりしたガイドではありません。しかし、確実にぶつかるであろう壁は示唆してくれています。これらの情報を元にまずは順調に船を漕ぎ出し、あとは手探りで進んでいくしかない状況です。
リスクは大きいですが、その分可能性は多く残されています。スタートアップだけでなく、長期的な発展を見越してアカデミアからも多く参入してくることを期待しています。