培養「タバコスズメガ」肉?昆虫細胞での培養肉は実現するのか
2025年、昆虫細胞で培養肉を生産しようとするとどうなるのか、また新しい角度からの論文が公開されていました。培養肉と言えば、牛・豚・鶏・魚などの細胞を使うもの。そう考えがちな方には、ぜひ読んでほしい論文です。
今回は、まず論文の内容を整理し、その後に培養肉研究員としての所見を述べていきます。
先行研究での取り組み
今回紹介する論文は、2025年に公開された「Establishment & characterization of a non-adherent insect cell line for cultivated meat」になります。あの有名な米タフツ大学のDavid教授の研究チームからの発表です。
この論文では、動物細胞の培養の難しさに着目し、昆虫細胞の培養が培養肉生産において有望な代替手段になるのではないかという仮説から始まっています。培養肉を既存の食肉の代替ではなく、バイオマス、つまりタンパク質を作り出す手段として考えた場合、昆虫細胞の方が生産効率が高いのではないか、そんな切り口です。
本当に昆虫細胞の方が効率的な培養肉生産に適しているのか、昆虫細胞から作った培養肉はどんな特性を持つのか、論文をもとに確認していきます。
タバコスズメガの胚から、培養肉用の細胞株を作る
まずDavid教授の研究チームは、実際にタバコスズメガという昆虫の胚から細胞を単離し、効率的な培養肉生産に寄与する細胞株開発を実施しました。
ここの開発では何を行ったかと言うと、培地の無血清化と非接着細胞の選定です。最初の細胞を単離するときは血清ありの培養液で単離してきますが、その後、徐々に血清濃度を下げて無血清培地へと適応させていきました。さらに無血清培地に適応させる段階で、接着していない細胞のみを継代することで、非接着細胞の選定も合わせて実施していました。
結果として、約35継代目には無血清培地へ適応した、非接着細胞株を作製しました。この細胞は平均倍加時間33.5±6.3時間で、1年半以上、連続して懸濁浮遊培養で拡大し続けることができる細胞株となっています。
作製した細胞株での懸濁浮遊培養
作製した細胞株を三角フラスコで振とう培養、培養容量30 mLで培養したところ、細胞密度は5×10⁵ cells/mLから18日間で2.5×10⁷ cells/mLを超えました。これは適度に培地交換した場合ですが、1回も培地交換しなかった場合でも、培養7日間で4×10⁶ cells/mLまで到達する結果となりました。
さらにスケールアップを実施し、500 mL振とうフラスコ、2.4 Lバイオリアクターでも培養を行ったところ、培養4日で約5〜6倍、到達細胞密度は2.5〜3.0×10⁶ cells/mLとなりました。そして明確なデータは示されていませんが、10 Lバイオリアクターでの培養も実施したとの記載もあります。
これらのスケールアップにおける培養条件を詳細に検討した形跡がないため、おそらく基本的な条件で培養した結果だと思います。もう少し条件を調整すれば、さらに上振れする余白が十分にあるように思えます。
昆虫細胞の栄養分析
今回培養した昆虫細胞を栄養分析に回してみた結果、乾燥重量あたりで、タンパク質は77.47%、脂質は13.53%、灰分は8.1%、炭水化物は0.92%と報告されています。また、9種類の必須アミノ酸を含むこと、鉛、ヒ素、カドミウムは検出されなかったことも示されています。
さらに詳細な分析として、Good MeatとUPSIDEが公開している鶏胚線維芽細胞、DF-1細胞由来の培養肉のデータと、今回の昆虫培養肉を比較しています。その結果、乾燥重量のタンパク質、脂肪、灰分、炭水化物の内訳は類似していたが、いくつかのアミノ酸、ミネラルには差が出たことを報告しています。
ただし比較データに関しては、使用している培養液がそもそも異なります。正確に鶏細胞と昆虫細胞の違い、とはならないところに注意しましょう。
研究員が見る昆虫細胞のポテンシャルと欠点
ここまで素直に論文を読んでみましたが、以降はポイントごとに所見を入れていきます。
細胞の開発しやすさは魅力
今回の論文で見て驚いたのは、最初に無血清培地へと適応させる段階です。動物細胞では数十継代は覚悟するところですが、今回の細胞は4回の継代培養で無血清培地への適応が完了しています。また、昆虫細胞用の無血清培地は多く市販されており、わざわざ開発する必要のないところも良い点です。
さらに無血清培地でそのまま足場材なしに浮遊培養可能な細胞を作りつつ、自然不死化も達成しているのは昆虫細胞ならではの開発しやすさです。極端に増殖速度が早いわけではありませんが、細胞株を作製する1サイクルがこれだけ早いのであれば、動物細胞よりもはるかに開発は進むことでしょう。
スケールアップ時は少し有利な程度?
論文内では、開発した細胞株でスケールアップを行っていましたが、細胞密度や倍加時間は、そこまで特筆したものではありませんでした。しかし、細胞を単離してからわずかな期間で10 L培養まで実施できるのは羨ましい限りです。
そして詳細な浮遊培養条件が記載されていないことから、一般的なプロトコルで試してみた、くらいの結果のような気がします。あと半年かけて細胞に合った培養方法を探せば、最大細胞密度は2倍近く伸びると思いますので、ポテンシャルは高いように読み取れました。
また、細胞の代謝でも興味深い結果がありました。細胞密度を高くしようとするときに問題となるのが、乳酸やアンモニアといった老廃物の蓄積です。哺乳類の細胞では、アンモニアは2 mM以上、乳酸では20 mM以上蓄積すると細胞の増殖を阻害し始めます。しかし今回のタバコスズメガの細胞は、乳酸をほとんど排出しないという性質を示しました。アンモニアによる増殖阻害も6.25 mMからと示されているので、耐性も少し高めな細胞のようです。
これらの特性はスケールアップにおいて有利になる特性で、培地組成と培地交換方法を上手く組み合わせることで、効率的な培養方法を作り出せる可能性を秘めていると感じます。
思いがけないタバコスズメガ細胞の弱点
ひとつ残念なことは、今回作った細胞が何細胞か分からないということです。これは論文で示されていないのではなく、タバコスズメガ特異的な細胞マーカーがないため、細胞を特定することができなかったと記載されています。
昆虫も種類によってはマーカーが明らかになっていることがありますが、それでも莫大な種類が存在する昆虫界の中ではほんの僅かです。そのため、多くの昆虫では細胞マーカーが存在しないという現状は変わらないでしょう。
この問題は昆虫に限らず、ちょっとマイナーな動物の細胞になるとマーカーが無かったりします。そこから研究する必要があるので、細胞自体の開発は早くなっても研究全体では時間がかかってしまうことがあり得ます。こういった部分は、大学等の基礎研究に期待する部分です。
培養肉の細胞としては別角度の検証も必要
今回の論文では、昆虫細胞からバイオマス生産に至る一連のプロセスにおいて、その開発経過を見せるものでした。プロセスの結果を見ると、哺乳類細胞に比べて、ずいぶん開発しやすいことが見てとれます。一方で、これを培養肉生産に使うためには、また別のハードルが存在します。そのハードルは主に「科学的安全性評価」、つまり規制面です。
昆虫細胞から作った培養肉が安全なのかどうかは、本論文で評価されていた栄養分析だけでは分かりません。栄養分析もその一部ではありますが、他にも細胞の同定やアレルゲン検査、そして毒性検査も必要になってきます。
私たちが普段食べている牛・豚・鶏などは、食経験や既存研究で説明できる部分がいくらかありますが、タバコスズメガのような食用されていない昆虫の細胞だと、そのすべてを科学的に明らかにしていく必要が生じると想定されます。その場合は解析していくしかありませんが、前述したように細胞に対するマーカーが存在しなかったりといった問題も生じます。
珍しい昆虫細胞の培養肉に挑戦する場合は、技術的課題とともに上記の問題も同時に想定しておく必要があります。
まとめ
私の視点では、この論文は「昆虫細胞で培養肉を作れるか」というより、「培養肉に向いた細胞株とは何か」を考えさせられる材料でした。こんな細胞で培養肉を作れたら面白いのではないかと想像することは多いですが、ヒトの食材として提供する上では目に見えないハードルが多く存在します。
生産のことだけ考えれば、開発しやすいこと、増やしやすいこと、安く培養できることが課題であり、その点で昆虫細胞は優秀だと思います。ただし、すぐに社会実装されるかどうかはやはり別問題です。
今回の論文は、「技術的課題の解消」と「社会実装までの距離」を再認識させてくれるものでした。そう考えると、やはり鶏細胞が第一選択に挙がるのも納得できます。昆虫細胞を食べる時代はもう少し先になりそうです。